企画展「車石(くるまいし)ー江戸時代の街道整備ー」報告

otsu-rekihaku

2011年08月06日 10:37

車石(くるまいし)研究会報告3

車石研究会報告第3弾は、
旧東海道の大津ー京都間に残されている車石を
紹介します。
ちょっと以前のことになりますが、
車石・車道研究会(正式な会の名称です)のメンバーと
旧東海道を大津から京都まで歩き、
主に沿道に残されている車石を探して歩きました。
と言っても、研究会の方々の事前実地踏査は完璧で、
探すというより、教えてもらうといった具合で、
非常に勉強になりました。

それに今まででしたら
ある程度深く、車の轍(わだち)の跡が残されているものばかりが
注目を浴びていますが、少しだけ浅く跡がついているものも
今後は「車石」の例として広めていくことも必要だと思います。


写真1 溝の深い車石
逢坂の常夜灯の基壇として車石が利用されています。


写真2 溝の浅い車石
写真で判別できると思います。これよりもっと溝の浅い車石もあるのですが、写真では分かりにくいので、実際に歩かれて確認されるのが一番です。

その轍の跡も、長方形の石板の中央ではなく、
ずいぶん端っこについているものもあり、
先ほど紹介した車石の溝の深い浅いがあるのとともに、
この溝が、始めから彫られていたものではないという
重要な証拠になるわけです。

ちなみに、ブログの筆者も研究会のメンバーも
今では、車石の溝は自然の磨耗によりできたものと考えています。
それについては、
筆者が平成5年、『大津市歴史博物館研究紀要』第1号で
「京津間の車石敷設工事」という論文を発表しています。
また車石・車道研究会の久保さんも、
同会が発行している研究報告書に掲載されていますので、
興味のある方は、ご覧いただければと思います。
私の論文については、項を改めて、このブログで紹介したいと
考えています。その節はよろしくお願いします。

さて本題に戻しますと、
旧東海道の沿道には、そういったさまざまな形をした車石が残されているとともに、
案内板を作成されて、各所で車石の普及にご尽力なさっているのには
敬意を表します。以下に2例ほど紹介させていただきます。


写真3 車石の案内表示1
表示板の左右に車石が置かれています。向かって左側は立てられています。両方とも溝が浅いのがお分かりでしょうか。


写真4 車石の案内表示2
「東海道」と刻まれた石柱の後ろに、溝の深い車石を、立てて展示されています。

以上の他、最近、大津市横木の閑栖寺(かんせいじ)さんの境内にも
人馬道と、車石が敷設された車道を復元されています。
これについては新聞記事にも多く取り上げられており、
お気づきの方もあると思いますが、
また項をあらためて紹介させていただきます。(続く)
                                 (担当学芸O.H)


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