企画展「車石」現地見学会第2弾開催

otsu-rekihaku

2012年04月05日 17:45

去る3月25日(日)午後、企画展「車石ー江戸時代の街道整備ー」に伴う第2回目の現地見学会を開催しました。
第1回に引き続き、東海道パート②で、山科区の日岡峠旧道粟田口付近などに残された車石を探索しました。
当日の午前中はさわやかな晴れのお天気だったのですが、
午後1時半、山科区の地下鉄東西線御陵駅近くで集合していると、
にわかに冷たい風が吹き、霙(みぞれ)まじりの雨がきつく降ってきました。
出発時刻になりましたが、傘を近くのコンビニに買いに行かれる参加者の方が続出。
大変な出発風景でした。
でも今回の車石探索は、注意していないと見落としてしまいそうな場所ばかりで、
解説を担当した車石・車道研究会のメンバーも
力のこもった説明ぶりでした。

ルートは、府道(旧1号)から旧東海道の細い道を南に入りるところから始まりました。
その付近の民家の石垣に、いきなり車石を発見


写真1 民家の石垣に埋め込まれた車石を見る参加者
 よく見ないと分かりません。半分に割れているもの。裏返して置かれているものなど様々です。

それらの石垣の解説を聞きながら、東海道の旧道を日岡峠に向かいました。
日岡峠は、江戸時代、大津寄りの逢坂峠とともに二大難所とされていましたが、
今も当時の面影を残し、かなり急な坂道になっています。
この峠道にも当時車石が敷かれていたようで、
周辺の沿道や民家には、今もさまざまな溝跡のある車石が残されています。


写真2 細くなった日岡峠の旧道
 注意して探すと車石が沿道に点在しています。

峠を下ると、平成16年、京阪電鉄京津線の線路撤去に伴い、京都市が設置した
車石広場があります。この広場にも車石と荷車のレプリカが置かれています。


写真3 車石広場で説明を受ける参加者

ここで休憩の後、府道を京都方面に歩くと、
九条山のバス停近くに、明治10年(1877)、京都府知事槇村正直が建立した
京津街道改修を記念した「修路碑」が建っています

写真4 修路碑

さらに先に進み、陸橋(花鳥橋)の上にあがると、
民家の裏手に、享保21年(1736)の年号を持つ石碑が建っています。
碑面には「享保廿一丙辰年二月十四日 日岡峠人馬道木食正禅建立」と刻まれています。
木食正禅とは、京都東山にある安祥院の僧で、
当時、重い荷車を、急な坂を喘ぎながら曳き牛をかわいそうに思い、
動物愛護のために日岡峠の改修工事を実施しました。


写真5 日岡峠人馬道碑

この碑は、民家の裏手に建っているので、ご迷惑となるため、
今回は陸橋の端っこから眺めることにしました。

次に陸橋を降り、府道の北側を大津方面に向かって歩きますと、
擁壁に、それはそれはたくさんの車石が埋め込まれており、
参加者の方は、驚いておられました。
なかでも十文字の車石は皆さん注目の的でした。
これは、交差点に置かれていた、というのではなく、
車石の溝が深くなってきたので、90度回転させて
再利用したもので、残存例が非常に少ないものです。


写真6 十文字のめずらしい車石

また、その近くの擁壁には、車石列が復原されています。
このモニュメントは昭和6年(1931)に設置されたもので、
設置された車石の幅は、道路工事に際して実際に出土したときの間隔を
そのまま復原したものと考えられます。
また、石の銘板に「車石」と刻まれていますが、
この「車石」の単語は、江戸時代には使用されていません
当時は、たんに「敷石」とか「輪形石(わがたいし)」と呼ばれていたもので、
現在、あたりまえのように使われている「車石」という単語きは、
どうもこのとき、つまれ昭和6年頃に使われだしたものと考えられるのです。


写真7 府道擁壁に復原された車石列

さらに道を大津方面に歩くと、
「京津国道改良工事記念碑」と、
木食正禅建立の「六字名号石」の建つ場所に着きます。
特に、先の改良工事記念碑を見ると、三重の基壇に、
たくさんの車石が使用されているのが一目で分かります。、
また記念碑の背面を見ると、縦長に車輪の轍が残されています。
この縦長の轍は、おそらく、橋板として使用されていた石材に
牛車の車輪の轍が付いたものと推定されます。


写真8 京津国道改良工事記念碑


写真9 記念碑背面の轍跡

現地見学会の東海道パート2では、
さまざまな車石を見つけることができ、
参加された皆さんは、今までなんの気なしに歩いていた道に
こんなにたくさんの車石があることに驚き、また感動されていました。
                                 (担当学芸 O.H)





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