《大津のキロク写真1》大津駅

2009年08月04日

 博物館には、市内の写真家である谷本勇氏が昭和20年代後半から撮り続けてきた写真資料(ファイル約200冊・フイルム約9千本、約16万コマ)が収蔵されています。氏は、家業として写真撮影業を営むとともに、写真家として県内の写真を数多く撮影されています。写真は、昭和30年代から50年代の大津の市街地を中心に風景や生活の様子など多岐にわたりますが、いずれも大津の町の移り変わりがよく分かる写真です。写真はネガ・ベタともに保存され、またそのほとんどに撮影年月日が記録されていることから、撮影年代の判る写真資料としても貴重なものです。
これらの写真は、平成17年に当館に寄贈していただき、現在少しずつではありますが、整理作業を進めています。

 歴史博物館では、谷本氏の撮影された写真以外にも、数多くの写真を蒐集調査し、その成果は博物館ホームページの中の「大津の古写真」で紹介していますが、ここでは「大津のキロク写真」と題して、谷本氏の撮影された写真を元に、少しマニアックな解説を加えながらご紹介するものです。

 今回のテーマは「大津駅」です。
 最近、駅前の整備事業が完成した大津駅ですが、現在の駅舎は昭和50年(1975)に建て替えられた建物です。それ以前の駅舎といえば、こんな建物でした。
《大津のキロク写真1》大津駅
《04111 昭和39年3月 谷本勇氏撮影》

この駅舎は大正10年(1921)に建てられた、左右対称のモダンな建物です。この場所に大津駅が設置されると同時に建設された駅舎です。建て替えられた年代が新しいので、記憶に残っておられる方も多いのではないでしょうか?

《大津のキロク写真1》大津駅
《04067 昭和38年8月 谷本勇氏撮影》

「この場所に」と限定したのには訳があります。

実は大津駅は何度か移動しているのです。
長くなるので簡単に説明すると、「大津駅」の名が付いた最初の駅は、明治13年(1880)の大津-京都間の鉄道開通時に、現在の京阪電鉄浜大津駅あたりに設置されました。これは、東海道本線が全通するまでの間、大津-長浜間を鉄道連絡船で結んでいたため、京都からの鉄道が、現在の膳所駅で折り返して浜大津まで続いていたためです。現在の京阪電鉄石坂線(膳所-浜大津間)がそれにあたります。東海道線の全通後(明治22年)は、この区間は支線となるのですが、東海道本線上に県庁所在地の名を冠した駅があるべきだと、大正2年には馬場駅(現:膳所駅)を「大津駅」と改称しました。
そして大正10年、明治に建設した大津-京都間のルートが変更されます(ルート変更の詳細は長くなるので割愛します…)。その際に、新線の経路上に設置されたのが、現在地の大津駅なのです。ですから、大津駅の名の付いた駅舎としては3代目ということになります。

そして昭和50年、現在の大津駅に建て替えられ、現在に至ります。下の写真は建て替え工事の様子を撮影した珍しい写真です。
《大津のキロク写真1》大津駅
《04287 昭和50年1月 谷本勇氏撮影》

《大津のキロク写真1》大津駅
《04288 昭和50年1月 谷本勇氏撮影》

これらの写真をご覧いただくと、旧大津駅舎は現在の駅舎のやや西寄りに建っていたことがよくわかります。
《大津のキロク写真1》大津駅
《04290 昭和50年1月 谷本勇氏撮影》
上の写真は、改札口の様子。改札口からは、地下通路を通ってホームまで通じていました。この地下通路は今も大津駅の南北を結ぶ連絡通路として利用されていますので、一度通ってみてください。

初回は少し解説の多い話になってしまいましたが、今後も少しずつではありますが、古い写真を様々な視点でご紹介したいと考えています。
最後になりましたが、大津市歴史博物館では、ご家庭に眠っている古い写真や面白い写真を探しています。ご覧いただいたように、昭和50年でも立派な歴史です!もし、ございましたら博物館へメールもしくは直接ご連絡をお願いいたします。 (きづ)



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Posted by otsu-rekihaku at 09:11 │ コラム