現在、常設展示室で、ミニ企画展「大津・戦争・市民」を開催しています。
この展覧会では、主に「銃後」の市民生活や子供たちと戦争、といった視点で、
戦時下の大津を紹介していますが、
市民の方から寄贈を受けた興味深い資料を展示していますので、
ここで紹介させていただきます。
上の写真は、年配の方なら誰もがご存じの絵です。
そう!「楠正成・正行親子の桜井の別れ」を描いたものです。
時は西暦1336年(建武3年)、後醍醐天皇に忠義を立てた楠正成が、
山陽道を通り、都に攻めのぼってくる足利尊氏軍の大軍勢に立ち向かいます。
数十万の足利軍に立ち向かう朝廷方は、わずかの軍勢。
その中核であった楠正成は、
西国街道の桜井駅(現:大阪府三島郡島本町)に陣地を構えます。
正成の息子正行(まさつら)は、弱冠11歳。
正行は、父・正成とともに足利軍と戦いたいと願いでますが、
父は、自分は戦死の覚悟だが、お前は、楠家繁栄のため生きながらえてくれ、
と命じます。
この別れのシーンは「太平記」に、感動的に叙述されています。
そして戦前、天皇に忠義を尽した武将として、戦争遂行のための教育に
さかんに取り上げられました。
先に揚げた「桜井の別れ」の絵は、
戦前、瀬田尋常高等小学校(現・大津市立瀬田小学校)の講堂の正面に掲げられていたものです。
もう片方には、中江藤樹のお母さんにあかぎれの薬を持っていくという
これも「親孝行」の見本とされた絵が掲げられていたといいます。
まさに、戦前の教育において、徳目として宣伝された「忠」と「孝」を表した2点の絵が
瀬田小学校の講堂に掲げられていたのです。
戦争が終わり、アメリカ占領軍が大津に進駐してきますと、
当時の矢嶋正信校長は、占領軍に没収されることを恐れ、
ひそかに撤去されましたが、それを地元の方が、長らく保管されていたのです。
残念ながら、もう片方の「中江藤樹」の絵は見つかっていませんが、
戦前の「忠孝」教育の一端を示す貴重な戦時資料といえるでしょう。
ミニ企画展「大津・戦争・市民」
9月12日(日)まで
常設展示観覧料金(一般・210円)でご覧いただけます。
夏休みのお子さんの宿題としてもご活用ください。
(学芸員 ひづめ)