陸軍少年飛行兵学校の日の丸の寄せ書き
シリーズ「大津・戦争・市民」第4弾
今回は陸軍少年飛行兵学校について紹介します。
この兵学校は、昭和18年(1943)4月、大津別所の地で正式に開校しました。
ここで「正式に開校」と書いたのは、
実はその前年、昭和17年10月、東京陸軍航空学校の「教育隊」が
別所の地で設立されていました。
ただ、正式開校するには法律の改正が必要だったとのことです。
写真1 別所の陸軍少年飛行兵学校跡
写真は昭和30年代に撮影されたもので、当時は戦後同地に進駐したアメリカ占領軍のキャンプ地でした。ただ、ここに写っている兵舎などは陸軍少年飛行兵学校時代とほとんど同じでした。
入校資格者の最年少は、
中等学校2年修了者か高等小学校卒業生なので
14歳か15歳ということになります。
今の中学3年生です。
若者というよりは、「子ども」といってもいいくらいです。
さて、別所の地には、陸軍歩兵第九連隊が駐屯していましたが、
昭和9年、最後まで残っていた第三大隊が満州に従軍したことから、
しばらく空き家になっていたところへ
陸軍病院が建てられ、
さらにそれが移転して、少年飛行兵学校が建てられたのです。
別所の歴史は、ちょっとややこしいので、注意が必要です。
今回紹介する資料は、その少年飛行兵学校への入校に際して
親類や友人が贈った日の丸の寄せ書きです。
写真2 日の丸の寄せ書き
右端には「祈 武運長久」、上段には右から「皇威発揚」と墨書きされています。
普通、日の丸の寄せ書きと言えば、
召集令状を受け取った若者が、召集に応じて、つまり応召兵として
入営(出征)するときに贈られたのですが、
飛行兵学校のように、14歳くらいの子どもが
このような日の丸の寄せ書きを貰ったと思うと
なんとも戦争の残酷さに胸がいたみます。
日の丸の寄せ書きは、各種スポーツの世界大会やオリンピックに出場する
日本選手が持っているのが、テレビなどに映ったりしますが、
戦争に行くのに貰うというのは、二度とあってはならないことと思います。
(担当学芸 O.H)
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