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Posted by 滋賀咲くブログ at

企画展「湖都大津のこもんじょ学」開催中です④

2014年04月12日

とうとう企画展「湖都大津のこもんじょ学」も明日13日(日)で終了となります。
始まってみればあっという間で、珠玉の古文書を一堂ご覧いただく機会もあとわずかです。


関連講座後の展示室内

今回の展覧会では、大津の歴史をキラリと伝える古文書をたくさん展示しましたが、
文字だけでなく、形や色や、サインのあれこれを見ていただきました。

今後も、古文書ファンの方、今回の展覧会を縁にファンになられた方、
そしてまだまだ古文書ファンでない方へ、
ミニ企画展などで、古文書の展覧会を続けていきたいと思います。

ひとまず企画展「湖都大津のこもんじょ学」展は明日で終了です!
ぜひ、今年最後の桜を見に行きがてら、大津市歴史博物館へ!!

展覧会の詳しい内容はこちら→詳細ページ(別ウィンドウで開きます)

(学芸員 たかはし)




Posted by otsu-rekihaku at 16:45 湖都大津のこもんじょ学

企画展「湖都大津のこもんじょ学」開催中です③

2014年03月28日

現在開催中の企画展「湖都大津のこもんじょ学」
一部展示替えをおこない、
3月25日(火)から後半に突入しましたkao05
残り期間もわずかです。お見逃しの古文書があれば、
ぜひ、この機会にご来場ください。

今回は、前期・後期を通じて展示している古文書をひとつご紹介しましょう。


足利直義下知状 暦応3年(1340)7月26日 園城寺蔵

足利直義(ただよし)は、室町幕府を開いた足利尊氏の弟です。
室町幕府の政治が始まったころ、尊氏が軍事を担当し、
弟の直義が裁判などの政務を担当したことから、二頭政治といわれました。

この古文書は、園城寺衆徒中に対して勢多(瀬田)橋の警固を命令したものです。
勢多橋は、京都への出入りを制する軍事的要衝でした。
そのため室町幕府は、しばしば園城寺に対して警固を命じました。
「セタブリッジを封鎖せよ!!」といわんばかりの古文書です。
ちなみに、足利尊氏と直義が衝突する「観応の擾乱」以後は、
尊氏嫡子の義詮(1330~1367)がその命令を出すことになります。

それにしてもこの古文書の直義の花押(サイン)の大きいこと。
兄に代わって取り仕切る!!との意識の表れでしょうか。
直義が将軍かiconN06と見間違えるくらいの大きさです。
今回の展覧会では、この直義の古文書を5点一気に並べて展示しています。
ぜひその花押の大きさを見比べてみてください。

展覧会の詳しい内容はこちら→詳細ページ(別ウィンドウで開きます)

展示資料紹介は、「企画展「湖都大津のこもんじょ学」開催中です④」につづく。

(学芸員 たかはし)




Posted by otsu-rekihaku at 10:57 湖都大津のこもんじょ学

企画展「湖都大津のこもんじょ学」開催中です②

2014年03月22日

いよいよ企画展「湖都大津のこもんじょ学」も前半が終わります。
前期は明日23日(日)までです。ぜひこの機会にお見逃しなく。

ここで、前期にしか展示しない古文書のひとつをご紹介しましょう。


ずばり、羽柴秀吉判物(はんもつ)です。
これは、天正12年(1584)、羽柴秀吉が延暦寺に宛てて出したものです。
内容は、元亀2年(1571)9月12日、織田信長に焼き討ちを受けて以来、
その再建が許されていませんでしたが、信長死後2年が経った天正12年に、
秀吉が天下人として、山門再興を宣言(許可)したものです。
文書の5~6行目に「秀吉都鄙静謐、依思国家鎮護」とあります。
「この秀吉が都鄙(都市と田舎)の静謐を、国家鎮護の思い」をもって
山門の再興を許可する、ということがわかります。
使われている紙も立派で、天下人であるということの意志がみてとれます。

このほかにもご紹介したい古文書はたくさんあるのですが、
会場では、解説パネルだけでなく、登場する歴史上の有名な人物のイラストで紹介しています。
後期には、古代の戸籍や、徳川家康書状など、
普段はみれない大津の歴史をキラリと紹介する古文書を展示します。
ぜひこの機会をお見逃しなく!

展覧会の詳しい内容はこちら→詳細ページ(別ウィンドウで開きます)

展示資料紹介は、「企画展「湖都大津のこもんじょ学」開催中です③」につづく。

(学芸員 たかはし)




Posted by otsu-rekihaku at 17:08 湖都大津のこもんじょ学

「湖都大津のこもんじょ学」にべんべんが来てくれました!!

2014年03月21日

 本日は雨が降り、少し肌寒い天気でしたが、三井寺のゆるキャラ「べんべん」が来てくれました!!
何故か展覧会担当者より笑顔の彫刻担当
「何故か展覧会担当者よりも笑顔の彫刻担当」



 今回の企画展には、当館のお隣にある三井寺を開いた智証大師円珍直筆の古文書が展示されていますiconN27
円珍直筆の書状を紹介するべんべん

「円珍直筆の遺言状を紹介するべんべん」


 企画展にいらしたお客様に笑顔を振りまきつつ、最近新知恩院より発見された涅槃像も興味深そうに見ていましたkao_22
新知恩院の涅槃像に見入るべんべん

「新知恩院の涅槃像に見入るべんべん」


 そして、現在常設展示室で開催中のミニ企画展「桜さくサクラ展」において、三井寺の桜を描いた作品を嬉しそうに紹介してくれましたiconN36
春の三井寺を描いた作品を紹介するべんべん

「春の三井寺を描いた作品を紹介するべんべん」


付記
 博物館入口で、たまたま来館していた子どもたちに囲まれていました。べんべんも嬉しそうですkao_22
「子どもたちに囲まれるべんべん」


(学芸員:くじらいくじら


Posted by otsu-rekihaku at 16:05 湖都大津のこもんじょ学

企画展「湖都大津のこもんじょ学」開催中です①

2014年03月09日

現在、開催中の企画展「湖都大津のこもんじょ学」は、
連日たくさんの方にお越しいただいております。誠にありがとうございますkao06
ここで、いくつかの展示資料をご紹介したいと思いますkao05


国宝 伝教大師尺牘 弘仁4年(813)11月25日 奈良国立博物館蔵
まず1点目は、国宝の「伝教大師筆尺牘(でんぎょうだいしひつせきとく)」です。
尺牘は、お手紙のことで、これは天台宗を開かれた伝教大師最澄の、
現存する唯一の直筆のお手紙です。弘仁4年(813)の日付があります。
内容は、当時高雄山寺(神護寺)の弘法大師空海のもとにいた、
かつての愛弟子泰範に宛てたもので、
ある経典の内容を空海に聞いてほしいといいうものです。
本文3行目の「大阿闍梨」が空海のことです。


署名部分
署名には、「最澄」とあって、直筆であることがわかります。
広く歴史の教科書にも載る人物のお手紙として注目です。
その筆致とともに、素晴らしい表具も合わせてご覧ください。



国宝 制誡文(智証大師関係文書典籍のうち)
仁和4年(888)10月17日 園城寺蔵

次に紹介するのは、同じく国宝の「制誡文(せいかいもん)」です。
これは、園城寺を中興した智証大師円珍の書いた直筆の遺言状です。
この時、円珍は75歳。亡くなる3年前に弟子たちに宛てて書いたものです。
内容は、全部で3ヶ条です。比叡山への信仰を諭した第1ヶ条目。
別当光定大師への恩を記した第2ヶ条目。
そして、慈覚大師円仁の教えに対して弟子たちが法恩を忘れず円仁門徒との和合を説いた第3ヶ条目です。
いずれも弟子に宛てた大切な教えを記した貴重なものです。


今回の展覧会は、含めた国宝7点重要文化財36点を展示していますが、
いずれも展示期間が前期・後期と展示期間が限られていますkao06
今回ご紹介した国宝2点を含むいくつかは、前期の展示で3月23日までとなっております。
また、後期には、国宝の円珍筆「病中言上書」などの、珠玉の古文書を展示します。
是非この機会にご覧ください。
展覧会の詳しい内容はこちら→詳細ページ(別ウィンドウで開きます)

展示資料紹介は、「企画展「湖都大津のこもんじょ学」開催中です②」につづく。

(学芸員 たかはし)




Posted by otsu-rekihaku at 18:15 湖都大津のこもんじょ学