企画展「比叡山 -みほとけの山-」閉幕&図録完売のお知らせ

2015年11月25日

企画展「比叡山 ―みほとけの山―」は無事に会期が終了し、閉幕いたしました。
たくさんのお客様にお越しいただき、誠にありがとうございました

また、本企画展の図録については、本館ミュージアムショップでの販売分も合わせて、全て完売いたしました。お求めのお客様には大変申し訳ありませんが、悪しからずご了承くださいますよう、お願い申し上げます。


次回の企画展「大津歴博の玉手箱」は、平成28年3月5日(土)より開催いたします。



(広報担当 F)



Posted by otsu-rekihaku at 15:22 比叡山展

図録「比叡山―みほとけの山―」完売(通信販売分)のお知らせ

2015年11月22日

企画展「比叡山―みほとけの山―」は、いよいよ明日までとなりました。
連日、たくさんのお客様にお越しいただいております。
誠にありがとうございます。

本企画展の図録「比叡山―みほとけの山―」ですが、ご好評をいただきまして、
通信販売分は完売いたしました。

当館ミュージアムショップでの販売分については、23日(月・祝)の会期終了日まではご用意しておりますが、会期終了をもって売り切れとなる見込みです。
この機会にぜひお買い求めください。


企画展「比叡山―みほとけの山―」は明日23日(月・祝)までの開催です。
→詳細ページはこちらです。http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/news/1510.html


Posted by otsu-rekihaku at 09:58 比叡山展

企画展「比叡山-みほとけの山-」開催中です③

2015年11月02日

企画展「比叡山-みほとけの山-」は、ちょうど折り返しですkao01
たくさんの方にお越しいただき誠にありがとうございますkao06

①・②につづき、展示室Bの叡山文庫の展示資料についてご紹介しましょう。
展示室Bは、全部で4部構成になっています。

(1)比叡山復興と古文書・絵図・典籍
 比叡山は、元亀2年(1571)に織田信長の焼き討ちによって一山が壊滅状態に陥ります。しかし、その後、天正10年(1582)以降、少しずつ再興が始まっていきます。そこで、散佚した仏像や仏画、そして典籍や文書が再び集積されます。おそらく、焼き討ちを逃れて避難していたものもあったでしょう。
 このコーナーでは、そうした復興に関わる古文書を展示して、その流れを追いつつ、山門復興に尽力した施薬院全宗や観音寺詮舜の新出文書を展示しています。


写真1 比叡山再興勧進帳 天正10年(1580)12月
     比叡山延暦寺(叡山文庫・延暦寺)蔵

(2)巡礼地 比叡山 -寺誌・地誌・案内記-
 先のブログ①で、比叡山の全体像をしっていただくために、「比叡山全図」を紹介しました。
 では、実際に、比叡山の山内や山麓にはどういった堂舎や建物があったのでしょうか。それを知る手掛かりは、比叡山山内・山下のデータブックともいうべき、『山門堂舎記』や巡礼記といったテキストです。
 ほとんどが冊子ですので、すべてのページをご覧いただくことはできませんが、『群書類従』や『天台宗全書』にそのいくつかが解読されています。今はなくなってしまった堂舎やその由緒、歴史が書かれた書物です。絵図とセットで、比叡山全体を考えるうえで欠かせない資料群です。


写真2 山門堂舎記 江戸時代写 比叡山延暦寺(叡山文庫・真如蔵)蔵

(3)描かれた比叡山-霊場・空間・結界-
 すでにブログ①で紹介した「比叡山全図」のほか、普段は目にすることがない叡山文庫の絵図を多く展示しています。ここでのポイントは、江戸時代から明治時代にかけて、比叡山の空間がどう変化していったか(あるいはしなかったのか)です。特に、宝永4年(1707)に西側の八瀬村との争論の際に作成された、「山門結界裁許絵図写」では、宗教的な境界と経済的な領域が確定しました。明治時代まで継続されたそれら境界は、京都府と滋賀県の境目を画定する際にも影響しました。
 各絵図作成の背景も解説していますので、ぜひご覧ください。


写真3 山門結界裁許絵図写 宝永5年(1708)写 比叡山延暦寺(叡山文庫・止観院)蔵

(4)集積される比叡山の知
 最後のコーナーは、比叡山で蓄積されてきた典籍類を「群」で説明するものです。
 ここでは特に、徳川家康のブレーンともなった南光坊天海の「天海蔵」、東塔南谷の實俊によって集積された「真如蔵」、そして、観音寺詮舜の弟子らによって集積された「正教蔵」(の関係資料)を展示しています。山門復興以降に、堂舎再建とともに、天台宗僧の修学のためのテキストが、山内で書写・作成・集積された過程がわかります。


写真4  天海蔵函 江戸時代 比叡山延暦寺(叡山文庫・天海蔵)蔵

 展示室Aの貴重な仏像・仏画をご覧いただき、「おわった」と思った瞬間に、次の部屋(展示室B)で以上のような歴史系の展示、そしてミニ企画展室では、その延長で天台密教の大百科「阿婆縛抄」を一挙公開しています。

 盛りだくさんな内容ですが、比叡山、天台宗を1日にで知っていただくまたとない機会です。ぜひ、秋深まる11月、大津市歴史博物館へ!!(11月5日から後期展示がはじまります)

展覧会「比叡山-みほとけの山-」の詳細情報はこちら
→詳細ページ(別ウィンドウで開きます)http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/news/1510.html



(学芸員 たかはし)



Posted by otsu-rekihaku at 13:41 比叡山展

企画展「比叡山-みほとけの山-」開催中です②

2015年10月23日

企画展「比叡山-みほとけの山-」は、開始から2週間が経とうとしておりますが、連日たくさんの方にお越しいただいております。誠にありがとうございますkao_22

恒例になりつつある展覧会紹介ブログの第2回目となる今回は、ちょっと変わったお不動さんについて紹介したいと思いますkao_11

みなさんがよくご存じのお不動さんの正式名称は「不動明王」といい、密教のほとけさまとして盛んに信仰されています。
天台宗では円仁円珍などが、真言宗では空海が唐より持ち帰り、忿怒の表情で外道を救済するほとけとして今でも大変人気があります。

不動明王に限らず、仏教のほとけさまは姿形が厳密に決められています。
不動明王については、9世紀末に五大院安然(841-915)による「不動明王立印儀軌修行次第」というものがあります。そこには、不動明王の特徴を19個挙げています(これを「不動十九観」といいます)。

1、此の尊は大日の化身なり。
2、明(真言)の中に阿(あ)、路(ろ)、喚(かん)、蔓(まん)の四字あり。
3、常に火生三昧に住す。
4、童子形を現じ、身、卑しくして肥満せり。
5、頂に七莎髻あり。
6、左に一弁髪を垂る。
7、額に皺文あり、形、水波のごとし。
8、左の一目を閉じ、右の一目を開く。
9、下歯、上の右唇を喫み、下の左唇、外へ翻出す。
10、その口を緘閉す(閉じる)。
11、右手に剣を執る。
12、左手に索を持つ。
13、行人の残食を喫す。
14、大盤石に安坐す。
15、色醜くして青黒なり。
16、奮迅忿怒す。
17、遍身に迦楼羅炎あり。
18、変じて倶力迦大龍と成り剣に纏わる。
19、変じて二童子と作り、給使す。


また一方で、空海が唐より持ち帰った不動明王の姿(弘法大師様)の特徴は、

1、髪は総髪(直毛)で、左に弁髪を垂らす。
2、両目は見開く。
3、上歯で下唇を噛む。
4、頭頂に蓮華(頂蓮)をのせる。

などが挙げられます。

それでは、実際に展示されているお不動さんの姿を見てみましょう。

こちらは比叡山延暦寺に所蔵される「不動明王二童子像」です。





不動明王の表情、姿形を見てみますと、「不動十九観」の特徴と一致しています。





さて、ではここで今回初めて公開される延暦寺山内寺院蔵の「不動明王二童子像」を見てみます。





恐らく、少し詳しい人でしたらびっくりされたのではないでしょうかiconN05
最初に気付くのが、このお不動さん、二童子も含めて「金色」なんですicon12kao_16
びっくりされた人の中には、かの有名な園城寺の国宝「黄不動尊」を連想する人もいるかと思われます。しかし、実は黄不動はきちんと姿形が決まっており、本図は黄不動とはいえません。

それでは少し細かく見ていきましょう。

まず不動明王の顔は、両目を見開き、上歯で下唇を噛んでいるので、弘法大師様の特徴が見られます。しかし、髪は逆立っており、弁髪もたらしておらず、頂蓮も見られません。





また、先に挙げた比叡山延暦寺のお不動さんに描かれる二童子(矜羯羅童子:こんがらどうじ制吒迦童子:せいたかどうじ)と比較してみると、本図の矜羯羅童子は蓮台を持ち、制吒迦童子は合掌しています。





不動明王は、大日如来の教令輪身(きょうりょうりんじん:ほとけの教えに背くものを力尽くで立ち直らせる役)と考えられており、もしかたしたら大日如来から不動明王へ変身している場面を描いており、矜羯羅童子の蓮台は不動明王の頭に載るのかもしれません。

今のところ本図の類例は見当たらず、多くの謎に包まれていますが、もし似たようなお姿のお不動さんをお見かけした方は、ぜひ当館までご連絡ください電話


担当:くじら




Posted by otsu-rekihaku at 14:33 比叡山展

企画展「比叡山-みほとけの山-」開催中です①

2015年10月15日

企画展「比叡山-みほとけの山-」は、開始5日が経ちましたが、
連日たくさんの方にお越しいただいております。誠にありがとうございますkao06

本来でしたら、仏像を中心に紹介をしていくところですが、
まずは、比叡山ってどの範囲をいうのiconN05iconN05というご質問を受けて、
はじめに今回最大の展示品「比叡山全図」をご紹介しましょうkao_11


〔比叡山全図(全体)〕

この絵図は、叡山文庫に所蔵され、展示されたことがない大絵図ですiconN04
作られた目的ははっきりとはわかりませんが、際川付近の書かれた墨書より、
江戸時代前期、正保2年(1645)年前後に描かれた絵図であることが判明しました。
その墨書は、江戸時代前期の大津代官小野宗左衛門らの名前で、
彼らは、比叡山領域の画定のための「定(さだめ)之(の)御奉行」として、
この大絵図の作成をしたようですiconN27

その内容は、一目瞭然、百聞は一見にしかずですkao_16
まずは大絵図の全体を眺めていただき、その範囲を確認してください目
大きさ縦284㎝×横328㎝の中に描かれたその中に、
比叡山の威容細かな堂舎の配置霊所霊跡
無数に書き込まれています。

東塔・西塔・横川
、そして飯室谷や山下の坂本里坊
京都側は八瀬・一乗寺村まで、ほんとうにびっしりです。


〔東塔付近〕


〔西塔付近〕


〔横川付近〕


〔坂本里坊付近〕


〔唐崎社付近〕

この絵図は展示室Bの一番最後に展示しています。
最後に絵図をご覧いただき、会場を出て、
ロビーから改めて比叡山方面の山並みをご覧いただき、
あらためて比叡山の雄大さ、奥深さを体感いただければと思います。

展覧会「比叡山-みほとけの山-」の詳細情報はこちら
→詳細ページ(別ウィンドウで開きます)http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/news/1510.html

(学芸員 たかはし)




Posted by otsu-rekihaku at 18:03 比叡山展