れきはく講座現地見学会「堅田古絵図ツアー」
2013年10月06日
去る9月28日(土)に、第565回れきはく講座現地見学会を開催しました
内容はタイトルどおり、ずばり「堅田古絵図ツアー」
堅田の江戸時代から現在までの地図7点を見比べながら歩くツアーです。
案内人は、当館学芸員高橋。参加者は総勢44名
おかげさまで天気にも恵まれ、絶好のまちあるき日和でした
大津市にある堅田は、古くから琵琶湖上の要衝として、
水運、漁業など、様々な権利を獲得しつつ、発展してきました
そして堅田の景観もまた湖と人との関係で変化してきました。
今回の現地見学会では、各時代の景観を描いた絵図(古絵図)
を持って、
隅々まで歩くというものでした。
最初は、内湖大橋で、堅田の景観が内湖の埋め立てによって変化したことや、
江戸時代の地名がそのまま残っていることなどを確認してから堅田に入っていきました。

〔写真1〕内湖大橋での説明と参加者のみなさん
今回のツアーは、現在当館で開催中の
ミニ企画展「居初家文書の世界」と関連したものですので、
途中で天然図画亭(居初家邸)にお邪魔して、
ご当主から居初家の歴史と堅田の関わりについてお話いただきました。

〔写真2〕ご当主の居初寅夫さんとお話に聞き入る参加者のみなさん
また今回、特に注目したのは、江戸時代(延宝年間)の古絵図です。
元禄11年、堅田は幕府領でしたが、領地替えで堀田家がやってきて堅田藩ができます。
それにともなって陣屋がおかれ、まち並みが変化します。
この延宝期の古絵図は、それ以前の景観を描いたものですので、
陣屋の設置以前の風景を観ることができます。
このほかにも、ツアー(現地見学会)では、延宝期の絵図をもとに、
内湖のかたちや道、堀のあと、伊豆神社、浮御堂、舟入などを見比べながら、
また、堅田の歴史を振り返りながら歩きました。

〔写真3〕各箇所で位置を確認している様子
こうした古絵図を持ちながら、現地を歩くのは、歴史をたどる醍醐味です
今後も、こうしたツアーを開催して、みなさんと一緒に
あれこれ言いながら、歩きたいと思っております。
今回ご参加いただいた皆様、本当にお疲れ様でした
(学芸員 たかはし)

内容はタイトルどおり、ずばり「堅田古絵図ツアー」

堅田の江戸時代から現在までの地図7点を見比べながら歩くツアーです。
案内人は、当館学芸員高橋。参加者は総勢44名

おかげさまで天気にも恵まれ、絶好のまちあるき日和でした

大津市にある堅田は、古くから琵琶湖上の要衝として、
水運、漁業など、様々な権利を獲得しつつ、発展してきました

そして堅田の景観もまた湖と人との関係で変化してきました。
今回の現地見学会では、各時代の景観を描いた絵図(古絵図)

隅々まで歩くというものでした。
最初は、内湖大橋で、堅田の景観が内湖の埋め立てによって変化したことや、
江戸時代の地名がそのまま残っていることなどを確認してから堅田に入っていきました。
〔写真1〕内湖大橋での説明と参加者のみなさん
今回のツアーは、現在当館で開催中の
ミニ企画展「居初家文書の世界」と関連したものですので、
途中で天然図画亭(居初家邸)にお邪魔して、
ご当主から居初家の歴史と堅田の関わりについてお話いただきました。
〔写真2〕ご当主の居初寅夫さんとお話に聞き入る参加者のみなさん
また今回、特に注目したのは、江戸時代(延宝年間)の古絵図です。
元禄11年、堅田は幕府領でしたが、領地替えで堀田家がやってきて堅田藩ができます。
それにともなって陣屋がおかれ、まち並みが変化します。
この延宝期の古絵図は、それ以前の景観を描いたものですので、
陣屋の設置以前の風景を観ることができます。
このほかにも、ツアー(現地見学会)では、延宝期の絵図をもとに、
内湖のかたちや道、堀のあと、伊豆神社、浮御堂、舟入などを見比べながら、
また、堅田の歴史を振り返りながら歩きました。
〔写真3〕各箇所で位置を確認している様子
こうした古絵図を持ちながら、現地を歩くのは、歴史をたどる醍醐味です

今後も、こうしたツアーを開催して、みなさんと一緒に
あれこれ言いながら、歩きたいと思っております。
今回ご参加いただいた皆様、本当にお疲れ様でした

(学芸員 たかはし)
れきはく講座「江戸時代の堅田と居初家」を開催しました
2013年09月22日
去る9月21日(土)に、第564回れきはく講座を開催しました
講師に神戸女大学講師の鎌谷かおる先生をお迎えして、
「江戸時代の堅田と居初家」というタイトルでお話をいただきました
鎌谷先生は、江戸時代の琵琶湖と人の関係について、
堅田を中心に研究を進められている気鋭の研究者です
今回は、ミニ企画「居初家文書の世界」に関連して、
堅田の歴史を紐解く上で欠かせない、居初家文書のお話を含めて
地域の歴史を知るということ、古文書の持つ「力」について、
熱く語っていただきました。

写真1 満員の会場

写真2 鎌谷かおる先生
お話の中心は、もちろん江戸時代の堅田の歴史についてですが、
それ以前の室町、戦国時代、堅田が「都市」と呼ばれたころから、
どのように移り変わっていくかをお話いただきました。
特に、中世で「都市」だった堅田が、「本堅田村」と「今堅田村」に分かれ、
「村」としてスタートすることになった経緯について、
石高制や身分制など、江戸時代を知るうえで重要なキーワードを
堅田を事例に、大変わかりやすくお話いただきました。
また、江戸時代の堅田の領主(幕府領から堅田藩)の交代や、
そこで作られる文書(もんじょ)の読み解き方などをお話いただきましたが、
やはりそこで重要なのは居初家文書の存在です
。
鎌谷先生がご専門とされる、江戸時代琵琶湖の漁業や生業の歴史は、
まさに、この居初家文書から明らかになったもので、
今回は、その具体的なお話を少し我慢(?)していただき、
居初家文書が保存されてきた意味や古文書の持つ魅力
について、
これまた熱く語っていただきました。
近年、少しずつですが、古文書をメインにした展覧会が増えてきています
鎌谷先生がおっしゃっていたように、
一つ一つの文字を読まなくても、古文書の本物がもつ力、
200年、300年、400年も前に作られた意味と残されてきたことを
感じ取ることが大切なんだと、わたし自身も改めて考えさせられました。
ご参加いただいたみなさま、そして鎌谷先生、
本当にありがとうございました
。

写真3 講座後、ミニ企画展内
(学芸員 たかはし)

講師に神戸女大学講師の鎌谷かおる先生をお迎えして、
「江戸時代の堅田と居初家」というタイトルでお話をいただきました

鎌谷先生は、江戸時代の琵琶湖と人の関係について、
堅田を中心に研究を進められている気鋭の研究者です

今回は、ミニ企画「居初家文書の世界」に関連して、
堅田の歴史を紐解く上で欠かせない、居初家文書のお話を含めて
地域の歴史を知るということ、古文書の持つ「力」について、
熱く語っていただきました。
写真1 満員の会場
写真2 鎌谷かおる先生
お話の中心は、もちろん江戸時代の堅田の歴史についてですが、
それ以前の室町、戦国時代、堅田が「都市」と呼ばれたころから、
どのように移り変わっていくかをお話いただきました。
特に、中世で「都市」だった堅田が、「本堅田村」と「今堅田村」に分かれ、
「村」としてスタートすることになった経緯について、
石高制や身分制など、江戸時代を知るうえで重要なキーワードを
堅田を事例に、大変わかりやすくお話いただきました。
また、江戸時代の堅田の領主(幕府領から堅田藩)の交代や、
そこで作られる文書(もんじょ)の読み解き方などをお話いただきましたが、
やはりそこで重要なのは居初家文書の存在です

鎌谷先生がご専門とされる、江戸時代琵琶湖の漁業や生業の歴史は、
まさに、この居初家文書から明らかになったもので、
今回は、その具体的なお話を少し我慢(?)していただき、
居初家文書が保存されてきた意味や古文書の持つ魅力

これまた熱く語っていただきました。
近年、少しずつですが、古文書をメインにした展覧会が増えてきています

鎌谷先生がおっしゃっていたように、
一つ一つの文字を読まなくても、古文書の本物がもつ力、
200年、300年、400年も前に作られた意味と残されてきたことを
感じ取ることが大切なんだと、わたし自身も改めて考えさせられました。
ご参加いただいたみなさま、そして鎌谷先生、
本当にありがとうございました

写真3 講座後、ミニ企画展内
(学芸員 たかはし)
れきはく講座「大津百町の古文書を読む」
2012年12月26日
毎年の恒例講座「古文書講座〈初級編〉」(3回連続)が、
去る12月15日(土)に終了しました
今年の講座も、入門講座ということで、
古文書の読み方や見方を中心にお話ししました
今年は、次回企画展・ミニ企画展と連動して、
「大津百町の古文書を読む」というテーマで、
町のはじまりや、自治組織、東海道の宿場町に関する古文書つかって、
楽しく、わかりやすく(
)お話しました
。
担当したのは、昨年同様、学芸員の高橋です
初級ということもあって、初学者の方や、
普段古文書をみる機会のない方もおられましたので、
講堂内に展示ケースを置いて、実物の古文書もご覧いただきました。
見て、読んで、声に出す、古文書の楽しさを少しでも体感いただけたと思います。
また、全講座各回とも100人を超す方にご参加いただきました。
本当にありがとうございました。

《写真1》講座の様子
今回も、前回と同様に、大変緊張しながら
、
古文書のあれこれをお話しさせていただきました。
その3回の内容をご紹介します。
【第1講目 大津町のはじまり】
古文書って、なんだか難しい
、読めない
、苦手だ
、という方も多いと思います。
いきなり字を読もうとすると失敗だと思います、
ということをお話ししました。
かたちや、差出人の署名、宛先人の書き方などなど、
古文書の読む前に注目していただきたい点をご紹介しました。
使ったテキスト(古文書)は、安土桃山時代の大津町の成立に関するもので、
まずは古文書のながめ方から紹介しました。
大津城、太閤検地をキーワードに大津町の’誕生‘についてお話しました
【第2講目 大津町の履歴書】人が自分の履歴書を書くように、
大津の町もその来歴が記されました。それが第2講目のテキストに使用した
「大津町覚」(国立国会図書館蔵)です。
町の履歴書といってもいいでしょう。
そんな「大津町覚」もくずし字で書かれているため、読解も必要になります。
一行ずつ解説をしながら読み進めました。
講座参加者の方に、読んでいただいたりもしました。
壇上におあがりいただいた方には改めて御礼申し上げます
【第3講目 大津町の古文書3題】
第1講目で古文書のかたち、第2講目でくずし字読解のポイントをお話し、
最後の第3講目は、少し実践的に、大津町に関わる古文書3点から
3つのテーマについて考えました

《写真2》解説する担当(高橋)
①倹約する人々
大津町の節約と隣人同士の付き合いにかんする古文書
江戸時代の倹約令との関係や、町内の贈答儀礼の変化を考えました。
②緊縮財政
大津宿の人馬会所の緊縮財政について書かれた古文書
全31箇条にもおよび、その節約や緊縮の様子を知ることができます。
やや虫食いがあり、古文書を読むうえでの大変さ?も体感いただきました。
③抜け荷を防げ
小関越の抜け荷改番所設置に関する古文書
園城寺領の神出村に、抜け荷改め番を設置することを決めたもの。
寺務を担当する政所から大津宿御伝馬会所に宛てられたもので、
その関係や、京都への抜け荷対策に苦心した様子がわかります。

《写真3》 みなさんと一緒に読んだ「人馬会所勤方印形改帳」
今回の古文書講座は、
2月26日から始まるミニ企画展「大津の古文書6 大津百町の誕生」(仮)で展示する古文書を用いて、町の歴史を古文書から読み解こうとしたものでした。
少し難しい点もあったかと思います。
しかし、読めないよ!とあきらめるのではなく、
少しの時間でもいいので、毎日古文書を眺め、
解読文と見比べながら、是非声に出して読んでください。
声に出して読みたい古文書、是非この大津から始めてみませんか。
(学芸員 高橋)
去る12月15日(土)に終了しました

今年の講座も、入門講座ということで、
古文書の読み方や見方を中心にお話ししました

今年は、次回企画展・ミニ企画展と連動して、
「大津百町の古文書を読む」というテーマで、
町のはじまりや、自治組織、東海道の宿場町に関する古文書つかって、
楽しく、わかりやすく(


担当したのは、昨年同様、学芸員の高橋です

初級ということもあって、初学者の方や、
普段古文書をみる機会のない方もおられましたので、
講堂内に展示ケースを置いて、実物の古文書もご覧いただきました。
見て、読んで、声に出す、古文書の楽しさを少しでも体感いただけたと思います。
また、全講座各回とも100人を超す方にご参加いただきました。
本当にありがとうございました。
《写真1》講座の様子
今回も、前回と同様に、大変緊張しながら

古文書のあれこれをお話しさせていただきました。
その3回の内容をご紹介します。
【第1講目 大津町のはじまり】
古文書って、なんだか難しい



いきなり字を読もうとすると失敗だと思います、
ということをお話ししました。
かたちや、差出人の署名、宛先人の書き方などなど、
古文書の読む前に注目していただきたい点をご紹介しました。
使ったテキスト(古文書)は、安土桃山時代の大津町の成立に関するもので、
まずは古文書のながめ方から紹介しました。
大津城、太閤検地をキーワードに大津町の’誕生‘についてお話しました

【第2講目 大津町の履歴書】人が自分の履歴書を書くように、
大津の町もその来歴が記されました。それが第2講目のテキストに使用した
「大津町覚」(国立国会図書館蔵)です。
町の履歴書といってもいいでしょう。
そんな「大津町覚」もくずし字で書かれているため、読解も必要になります。
一行ずつ解説をしながら読み進めました。
講座参加者の方に、読んでいただいたりもしました。
壇上におあがりいただいた方には改めて御礼申し上げます

【第3講目 大津町の古文書3題】
第1講目で古文書のかたち、第2講目でくずし字読解のポイントをお話し、
最後の第3講目は、少し実践的に、大津町に関わる古文書3点から
3つのテーマについて考えました

《写真2》解説する担当(高橋)
①倹約する人々
大津町の節約と隣人同士の付き合いにかんする古文書
江戸時代の倹約令との関係や、町内の贈答儀礼の変化を考えました。
②緊縮財政
大津宿の人馬会所の緊縮財政について書かれた古文書
全31箇条にもおよび、その節約や緊縮の様子を知ることができます。
やや虫食いがあり、古文書を読むうえでの大変さ?も体感いただきました。
③抜け荷を防げ
小関越の抜け荷改番所設置に関する古文書
園城寺領の神出村に、抜け荷改め番を設置することを決めたもの。
寺務を担当する政所から大津宿御伝馬会所に宛てられたもので、
その関係や、京都への抜け荷対策に苦心した様子がわかります。
《写真3》 みなさんと一緒に読んだ「人馬会所勤方印形改帳」
今回の古文書講座は、
2月26日から始まるミニ企画展「大津の古文書6 大津百町の誕生」(仮)で展示する古文書を用いて、町の歴史を古文書から読み解こうとしたものでした。
少し難しい点もあったかと思います。
しかし、読めないよ!とあきらめるのではなく、
少しの時間でもいいので、毎日古文書を眺め、
解読文と見比べながら、是非声に出して読んでください。
声に出して読みたい古文書、是非この大津から始めてみませんか。
(学芸員 高橋)
れきはく講座~道の名前と近江学~
2012年06月06日
去る5月26日(土)に、第520回れきはく講座を開催しました
講師に長浜バイオ大学の水本邦彦先生をお迎えして、
「道の名前と近江学」という演題でお話をいただきました
実は今回の講座、近年にない募数で、約2倍の高倍率になりました。
今回参加が叶わなかった皆様には大変申し訳ありませんでした

写真 超満員の講堂
さて、その講座ですが、主題は「道の名前はどうやって付けられるのか
」です。
毎日何気なく歩いたり、車で通ったりしている道。
その道に付けられた名前から、そこに込められた「道」が歩んできた歴史を紐解かれました。

写真2 お話される水本邦彦先生
たとえば、私たちはふだん何気なく「京街道」という道名を使っています。
しかしどうでしょう。大阪から京都へ行く道も、大津から京都へ行く道も「京街道」なのです。言われてみれば至極当然のことながら、そこに歴史を紐解くヒントが隠されていたのです
水本先生は、そうした道の名前の付け方を三つに分けて説明されました。
まず①は「行き先名前」。京街道に代表されるように、終着点が京都の道。
また、伊勢が終着点の「伊勢道」などなど。
そして②は「起点終点名前」。道のはじめと終わりから付けた名前で、「日野常楽寺道」や「竜華より堅田道」。
最後に③は、「普通名詞、関係・数詞名前」で、「上街道」や「九里半街道」といったものです。

写真3 目的先の「行き先名前」を歩いて説明する水本先生
この中での主流派は①の「行き先名前」で、先生はこれを、
「身体の延長としての道」の認識と表現されました
つまり、自分が立っているその場所から、目線の先(行先)との関係で名前を付けるということです
そう言われると、何気に私たちも、自分で好き勝手に「〇〇道」と付けてはいませんか
よくよく考えると、その先には行先・目的の場所があったり、終着点だったりしませんか
先生は、さらに「行き先名前」に注目しながら、近江の社会に目を向けます
今回は特に長浜を事例に、岐阜との交通・物流から道の歴史に話が進みます。
近江の国は、中心にたたずむ琵琶湖がありますが、これ自体が「道」であると説明されます。
長浜と高島の今津、また長浜と湖北の大浦・塩津を結ぶ湖上の「道」。
近江は琵琶湖を通じて縦横無尽に「道」で通じていたのです。
今回はそうした「道」のお話を、多くの絵図や石碑を用いて、していただきました。
大津から始まって、京都・大阪、そして伊勢・日野・長浜・岐阜を事例に、
まるで講堂にいながら、いろんな「道」を歩いた気分になりました。
皆様はいかがだったでしょうか
まさに千里の道も一歩から
近江の歴史と文化を「体感」できたお話でした。
水本先生、そしてご参加の皆様、どうもありがとうございました
(学芸員 たかはし)

講師に長浜バイオ大学の水本邦彦先生をお迎えして、
「道の名前と近江学」という演題でお話をいただきました

実は今回の講座、近年にない募数で、約2倍の高倍率になりました。
今回参加が叶わなかった皆様には大変申し訳ありませんでした


写真 超満員の講堂
さて、その講座ですが、主題は「道の名前はどうやって付けられるのか

毎日何気なく歩いたり、車で通ったりしている道。
その道に付けられた名前から、そこに込められた「道」が歩んできた歴史を紐解かれました。
写真2 お話される水本邦彦先生
たとえば、私たちはふだん何気なく「京街道」という道名を使っています。
しかしどうでしょう。大阪から京都へ行く道も、大津から京都へ行く道も「京街道」なのです。言われてみれば至極当然のことながら、そこに歴史を紐解くヒントが隠されていたのです

水本先生は、そうした道の名前の付け方を三つに分けて説明されました。
まず①は「行き先名前」。京街道に代表されるように、終着点が京都の道。
また、伊勢が終着点の「伊勢道」などなど。
そして②は「起点終点名前」。道のはじめと終わりから付けた名前で、「日野常楽寺道」や「竜華より堅田道」。
最後に③は、「普通名詞、関係・数詞名前」で、「上街道」や「九里半街道」といったものです。
写真3 目的先の「行き先名前」を歩いて説明する水本先生
この中での主流派は①の「行き先名前」で、先生はこれを、
「身体の延長としての道」の認識と表現されました

つまり、自分が立っているその場所から、目線の先(行先)との関係で名前を付けるということです

そう言われると、何気に私たちも、自分で好き勝手に「〇〇道」と付けてはいませんか

よくよく考えると、その先には行先・目的の場所があったり、終着点だったりしませんか

先生は、さらに「行き先名前」に注目しながら、近江の社会に目を向けます

今回は特に長浜を事例に、岐阜との交通・物流から道の歴史に話が進みます。
近江の国は、中心にたたずむ琵琶湖がありますが、これ自体が「道」であると説明されます。
長浜と高島の今津、また長浜と湖北の大浦・塩津を結ぶ湖上の「道」。
近江は琵琶湖を通じて縦横無尽に「道」で通じていたのです。
今回はそうした「道」のお話を、多くの絵図や石碑を用いて、していただきました。
大津から始まって、京都・大阪、そして伊勢・日野・長浜・岐阜を事例に、
まるで講堂にいながら、いろんな「道」を歩いた気分になりました。
皆様はいかがだったでしょうか

まさに千里の道も一歩から

近江の歴史と文化を「体感」できたお話でした。
水本先生、そしてご参加の皆様、どうもありがとうございました

(学芸員 たかはし)
れきはく連続講座「古代日本の都」
2012年05月22日

博物館ホームページ内の「講座・講演会案内」ページを更新し、本年6月から7月までの「れきはく講座」をアップしました!!
今回のれきはく講座は
◇れきはく連続講座「古代日本の都」◇
として、平城京や藤原宮、大津宮など、歴代の都の規模や構造・性格に焦点を当て、比較検討することで歴史的意義を再検討する全7回の講座です。また、現地見学会も1回予定しております。
今回の講座は連続講座ですが、1回ごとのお申込みですので、興味のある講座のみお聞きいただくことも可能です。
なお、れきはく講座は事前申込制となっております。以下のリンクをご覧いただき、「れきはく講座」に是非ご参加ください!! (きづ)
博物館ホームページ(講座案内) http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/kikaku/kouza.html