れきはく講座~道の名前と近江学~
2012年06月06日
去る5月26日(土)に、第520回れきはく講座を開催しました
講師に長浜バイオ大学の水本邦彦先生をお迎えして、
「道の名前と近江学」という演題でお話をいただきました
実は今回の講座、近年にない募数で、約2倍の高倍率になりました。
今回参加が叶わなかった皆様には大変申し訳ありませんでした

写真 超満員の講堂
さて、その講座ですが、主題は「道の名前はどうやって付けられるのか
」です。
毎日何気なく歩いたり、車で通ったりしている道。
その道に付けられた名前から、そこに込められた「道」が歩んできた歴史を紐解かれました。

写真2 お話される水本邦彦先生
たとえば、私たちはふだん何気なく「京街道」という道名を使っています。
しかしどうでしょう。大阪から京都へ行く道も、大津から京都へ行く道も「京街道」なのです。言われてみれば至極当然のことながら、そこに歴史を紐解くヒントが隠されていたのです
水本先生は、そうした道の名前の付け方を三つに分けて説明されました。
まず①は「行き先名前」。京街道に代表されるように、終着点が京都の道。
また、伊勢が終着点の「伊勢道」などなど。
そして②は「起点終点名前」。道のはじめと終わりから付けた名前で、「日野常楽寺道」や「竜華より堅田道」。
最後に③は、「普通名詞、関係・数詞名前」で、「上街道」や「九里半街道」といったものです。

写真3 目的先の「行き先名前」を歩いて説明する水本先生
この中での主流派は①の「行き先名前」で、先生はこれを、
「身体の延長としての道」の認識と表現されました
つまり、自分が立っているその場所から、目線の先(行先)との関係で名前を付けるということです
そう言われると、何気に私たちも、自分で好き勝手に「〇〇道」と付けてはいませんか
よくよく考えると、その先には行先・目的の場所があったり、終着点だったりしませんか
先生は、さらに「行き先名前」に注目しながら、近江の社会に目を向けます
今回は特に長浜を事例に、岐阜との交通・物流から道の歴史に話が進みます。
近江の国は、中心にたたずむ琵琶湖がありますが、これ自体が「道」であると説明されます。
長浜と高島の今津、また長浜と湖北の大浦・塩津を結ぶ湖上の「道」。
近江は琵琶湖を通じて縦横無尽に「道」で通じていたのです。
今回はそうした「道」のお話を、多くの絵図や石碑を用いて、していただきました。
大津から始まって、京都・大阪、そして伊勢・日野・長浜・岐阜を事例に、
まるで講堂にいながら、いろんな「道」を歩いた気分になりました。
皆様はいかがだったでしょうか
まさに千里の道も一歩から
近江の歴史と文化を「体感」できたお話でした。
水本先生、そしてご参加の皆様、どうもありがとうございました
(学芸員 たかはし)

講師に長浜バイオ大学の水本邦彦先生をお迎えして、
「道の名前と近江学」という演題でお話をいただきました

実は今回の講座、近年にない募数で、約2倍の高倍率になりました。
今回参加が叶わなかった皆様には大変申し訳ありませんでした


写真 超満員の講堂
さて、その講座ですが、主題は「道の名前はどうやって付けられるのか

毎日何気なく歩いたり、車で通ったりしている道。
その道に付けられた名前から、そこに込められた「道」が歩んできた歴史を紐解かれました。
写真2 お話される水本邦彦先生
たとえば、私たちはふだん何気なく「京街道」という道名を使っています。
しかしどうでしょう。大阪から京都へ行く道も、大津から京都へ行く道も「京街道」なのです。言われてみれば至極当然のことながら、そこに歴史を紐解くヒントが隠されていたのです

水本先生は、そうした道の名前の付け方を三つに分けて説明されました。
まず①は「行き先名前」。京街道に代表されるように、終着点が京都の道。
また、伊勢が終着点の「伊勢道」などなど。
そして②は「起点終点名前」。道のはじめと終わりから付けた名前で、「日野常楽寺道」や「竜華より堅田道」。
最後に③は、「普通名詞、関係・数詞名前」で、「上街道」や「九里半街道」といったものです。
写真3 目的先の「行き先名前」を歩いて説明する水本先生
この中での主流派は①の「行き先名前」で、先生はこれを、
「身体の延長としての道」の認識と表現されました

つまり、自分が立っているその場所から、目線の先(行先)との関係で名前を付けるということです

そう言われると、何気に私たちも、自分で好き勝手に「〇〇道」と付けてはいませんか

よくよく考えると、その先には行先・目的の場所があったり、終着点だったりしませんか

先生は、さらに「行き先名前」に注目しながら、近江の社会に目を向けます

今回は特に長浜を事例に、岐阜との交通・物流から道の歴史に話が進みます。
近江の国は、中心にたたずむ琵琶湖がありますが、これ自体が「道」であると説明されます。
長浜と高島の今津、また長浜と湖北の大浦・塩津を結ぶ湖上の「道」。
近江は琵琶湖を通じて縦横無尽に「道」で通じていたのです。
今回はそうした「道」のお話を、多くの絵図や石碑を用いて、していただきました。
大津から始まって、京都・大阪、そして伊勢・日野・長浜・岐阜を事例に、
まるで講堂にいながら、いろんな「道」を歩いた気分になりました。
皆様はいかがだったでしょうか

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近江の歴史と文化を「体感」できたお話でした。
水本先生、そしてご参加の皆様、どうもありがとうございました

(学芸員 たかはし)
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otsu-rekihaku
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