企画展「かわら」事前調査速報 その2
2008年08月02日
鬼瓦について
お寺などの屋根の最上部を大棟(おおむね)と呼びますが、
その大棟の両端などを飾る瓦が、
写真のように怖い形相をした鬼瓦です。

さて、鬼瓦を観察してみますと、
頭に生えている角は、長年の風雨などで、
たいていは先っぽが折れているものが多いようです。
開いた口には、歯がむき出しになっているものもあります。
また写真のように、口の下の鬚や頭髪?部分は、
細かい線で波型に表現されており、
瓦の左右には、丸型の模様(連珠紋)が施されていますが、
中には、突き出たものや、円の縁取りだけをしているものなどがあり様々です。
鬼瓦を調査するときは、上部や左右の側面、背面などにも注意を払います。
なかには、瓦を焼く前にヘラ(箆)で文字が書かれているものがあります。
そんな瓦に出会えれば万々歳。
瓦が造られたときのさまざまな情報を、
そこから汲み取ることができるからです。
写真下は、あるお寺の鬼瓦の上部と側面です。
上部には瓦が製作された年号、「正徳四年甲午」の文字が見えます。
これは西暦1714年ですので、
大津市内の瓦としては古い方だと思います。
また側面には、造った人の名前や居所が書かれています。
写真では、
「滋賀郡松本村住人、□□(藤原)朝臣瓦師井上七左衛門作」
と読めます。
滋賀郡松本村とは大津市松本のこと。
瓦師の井上七左衛門は、江戸時代から明治時代にかけて、
その松本村で瓦を造っていた有名な瓦師の名前です。
これらの瓦師の名前や年号を丁寧に調査ノートに書き写し、
年代順に並べてみたり、
同じ瓦師の造った鬼瓦の形が似ているのかどうか、
また同じ瓦師の作品がどのように市内や市外に分布しているのか、
などを調べるといったことが、調査、研究の第一歩なのです。
これから展覧会がオープンするまで、
順次調査の成果を紹介していきますので、ご愛読ください。(樋爪)


お寺などの屋根の最上部を大棟(おおむね)と呼びますが、
その大棟の両端などを飾る瓦が、
写真のように怖い形相をした鬼瓦です。

さて、鬼瓦を観察してみますと、
頭に生えている角は、長年の風雨などで、
たいていは先っぽが折れているものが多いようです。
開いた口には、歯がむき出しになっているものもあります。
また写真のように、口の下の鬚や頭髪?部分は、
細かい線で波型に表現されており、
瓦の左右には、丸型の模様(連珠紋)が施されていますが、
中には、突き出たものや、円の縁取りだけをしているものなどがあり様々です。
鬼瓦を調査するときは、上部や左右の側面、背面などにも注意を払います。
なかには、瓦を焼く前にヘラ(箆)で文字が書かれているものがあります。
そんな瓦に出会えれば万々歳。
瓦が造られたときのさまざまな情報を、
そこから汲み取ることができるからです。
写真下は、あるお寺の鬼瓦の上部と側面です。
上部には瓦が製作された年号、「正徳四年甲午」の文字が見えます。
これは西暦1714年ですので、
大津市内の瓦としては古い方だと思います。
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「滋賀郡松本村住人、□□(藤原)朝臣瓦師井上七左衛門作」
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Posted by
otsu-rekihaku
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15:52
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