「石山寺と湖南の仏像」の仏像紹介 第8回

2008年07月20日

第8回目の出陳仏像の紹介は、続けて金銅仏の誕生仏です。

 湖南市・善水寺に伝来の像で、比較的小さな像が多い誕生仏のなかで、本像は約30センチとかなりの大柄です。鍍金もよく残りいまだに金色に燦然と輝いています。

「石山寺と湖南の仏像」の仏像紹介 第8回

 誕生仏の大型のものでは、大仏殿での灌仏会で使われるものとして約50センチの東大寺像がよく知られています。この像は大仏開眼(752)頃に制作されたと考えられています。善水寺像は東大寺像と形式がほぼ同じで、同像の影響のもと造像されたことは確かです。
 『正倉院文書』によれば、天平宝字五年(761)石山寺の造営がなされる最中、東大寺鋳物所で誕生仏がつくられ石山寺にもたらされたといいます。この史料により、東大寺を造営する「造東大寺司」製の金銅製誕生仏が直接、近江にもたらされたことが判ります。

 善水寺の所在する地は、すぐ南に野洲川が流れ、その古代の主要港である三雲津がある地域です。三雲も『正倉院文書』によく出てくるところで、甲賀山作所で採取した木材を、野洲川を使い石山まで運んだ、造東大寺司にとって重要な港でした。

 本像が正倉院文書に出てくるその像であると明言することは出来ませんが、そのような環境にある善水寺に伝来しているのもロマンがあります。善水寺は、現在は天台宗寺院ですが、8世紀前半の和銅年間の創建といい奈良時代に本像がもたらされた可能性もあります。

 一方、善水寺は、明治期の廃仏毀釈の際、南にあるの飯道山(修験)のものを移しているといいます。飯道山の南は、紫香楽宮があった地域であり、まさに奈良時代に都と直結した繁栄した場所でした。つまり、本像は紫香楽経由の飯道山から伝来した可能性もあります。

 さらにお寺では、近江国分寺に最澄がいたときに入手して、善水寺にもたらしたという話もあります。当時の国分寺は瀬田にあり、瀬田川を挟んで石山寺の向かいにありました。

 このように本像は、奈良と近江南部が最も関りの深かった奈良時代後半に造立され、そしていろいろと関りの探れるとても面白いところに伝来していて、仏像伝播の妙を感じさせてくれる像といえるでしょう。(てらしま)

「石山寺と湖南の仏像」の仏像紹介 第8回



タグ :石山寺展

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Posted by otsu-rekihaku at 14:30 │ 展覧会