広重と東海道1
2008年06月13日

(1)「保永堂版東海道五十三次之内大津」について その1
上の写真は、当館所蔵の保永堂版「大津」です。向かって左側に東海道・逢坂越の大谷にある茶店「走井(はしりい)の餅屋」が描かれています。店先の向かって右手に商品陳列棚があり、その向こうに女性が二人、向かい合って座っています。店の奥には、女性の巡礼が二人。一人はあがり框(かまち)に腰を下ろし、一人は背中をむけて立っています。店の表側には、ほとばしるように水が溢れる井筒に「走井」と刻まれており、その前で魚屋が盥(たらい)の水を替えています。
上記の保永堂版が完成したのは天保4年(1832)頃と考えられ、翌天保5年正月には完成してセット売りが始まりました。
さてさて、走井の餅屋の店先が実はキーポイントなのです。

二枚目の写真は、寛政9年(1797)刊行の『東海道名所図会』巻一に紹介された走井の店先です。よく見てください。店の右手にある商品陳列棚と女性、店の奥の二人の巡礼、水替えをしている魚屋。広重の図柄とかなり似ているのが分かります。走井の店の構造が似ているのは、いたし方ないとして、店の内外の様子が、あまりにそっくりでびっくりです。
広重は、保永堂の「大津」を出す36年程前に出版された『名所図会』を参考にしたことは間違いないでしょう。『名所図会』の走井のシーンとの比較では、このほかにも少し気になるところがありますが、それは次号で紹介します。(本館学芸員 樋爪修)
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