広重と東海道2

2008年06月17日

(2) 「保永堂版東海道五十三次之内大津」について その2
『東海道名所図会』が出版された18世紀後半は、庶民に旅の一大ブームが巻き起こっていたときです。このような図版を多く取り入れた旅のガイドブックが多数出版され、どれもヒットしていました。その原因は、掲載された図が正確だったからということと、鳥瞰図風に描かれているものが多かったのです。日頃見られない視点から描かれた図は、誰にも新たな感動を呼んだことでしょう。

広重と東海道2

それはさておき本題に移りましょう。『東海道名所図会』走井の画面右下隅に描かれた「坂」のような表現に注目してください(写真上の右下)。その左手に人が荷物を担いで歩いています。「坂」の右側は描かれていません。
結論から言うと、この「坂」のように描かれた段差は、当時、東海道の逢坂越えに造られていた歩道と車道の境に設けられた段差だったと推定しています。それを証明する図柄が、同じ『名所図会』の中にあります。

広重と東海道2

写真は、同じく寛政9年に出版された『伊勢参宮名所図会』の「逢坂山」の場面です。画面向こう側に旅人が歩いているのが歩道です。その手前に、先ほどと同じ「坂」のような段差が見えませんか。そのさらに手前には、米俵を満載した牛車が進んでいます。これが実は車道なのです。歩道の右手には馬が見えますが、車を曳いていないので歩道を通っているのです。
『東海道名所図会』の走井の右下隅にわずかに描かれていた段差は、「逢坂山」に画かれていた車道と歩道の境の段差の延長なのではないでしょうか。私はそう思いたいのです。おそらく、この場面に画かれた段差を、広重は疑問に思ったことでしょう。一体全体、なんの意味があるのだろうと。 次号に続く。(本館学芸員 樋爪修)



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Posted by otsu-rekihaku at 10:58 │ コラム