れきはく講座「大津事件の真相に迫る」

2011年05月13日

現在、当館では大津事件120年を記念したミニ企画展「大津事件と津田三蔵」を好評開催中です。
去る4月30日(土)、この展示にともなう関連として、「大津事件の真相に迫る」と題した講座を開催しました。
タイトルがセンセーショナルなこともあってか、当日は130名を超える多くの方々が参加されました。

れきはく講座「大津事件の真相に迫る」
講演風景 皆さんややこしい内容の話にも熱心に耳を傾けていただきました

大津事件の真相とは何か?

実は、事件発生前、東京のロシア公使館に、日本の群集が投石をするという事件が発生しました。
事件の発生は、明治23年(1890)11月29日のこと。

その日は、第一回の記念すべき衆議院の議会が開催される初日で、
明治天皇が議会に臨席のため、皇居から馬車で国会議事堂に向かっていました。
その途中、ロシア公使館の前を通ったのですが、ロシア公使館の周囲は土手で囲まれ、
その上の東屋(あずまや)から、公使の夫人や公使館員が天皇の馬車行列を見ていたのです。
明治天皇の馬車行列を、少し高い場所から見物する形となった。
それを「不敬」だとして、周囲の群衆から公使館に向かって投石が始まったのですiconN04

ロシア公使は、これを重大事件だと認識し、青木周蔵外務大臣に一つの要求をします。
つまりは、こうです。
「日本の刑法には、外国の皇族に対する暴行を罰する条文が無いではないか。
だから、来年皇太子が来日したときに、同様の行為が起こると非常に心配だ。
その場合は、緊急に勅令(ちょくれい、天皇の命令)を出して処罰するようにせよ!」
と強く迫ったのです。

それに対し、青木外務大臣は、
「その必要は無い。もしそんな事件が発生したら、日本の刑法の第116条を適用し、
死刑に処するまでだ!」
と約束したというのです。

この、ロシア公使と青木外務大臣の約束は、
大審院長・児島惟謙(これかた)の手記に記されており、
過去、長年にわたり、この約束が本当にあったこととして、研究が進められていました。
では、本当に約束は交わされたのでしょうかiconN05

前置きがかなり長くなりましたが、今回の講座では、当時の古文書などを引用し、
実際はどうだったのかを検討しました。
結論的に言うと、約束が交わされた形跡は無いiconN04

青木外務大臣とロシア公使の間には、この他にも様々な噂が
当時取りざたされていました。そのことも合わせて、
資料に基づいて、お話しさせていただきました。

講座が終了してから、参加者の皆さんには展示室にお入りいただき、
そこで様々な質問をお寄せいただきました。
展示室の中で人の輪が出来てしまい、
他のお客さんにご迷惑をお掛けしたのではないかと、
実は少し心配しております。ここに改めてお詫び申し上げます。

れきはく講座「大津事件の真相に迫る」
講演会終了後の展示観覧風景

ミニ企画展は、5月29日(日)まで開催しております。
是非ともお見逃しのないよう、ご案内いたします。
                       (学芸*O,H)



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Posted by otsu-rekihaku at 16:47 │ れきはく講座