パンプキン爆弾ひさびさに展示!ミニ企画展「大津・戦争・市民」

2011年07月14日

シリーズ「大津・戦争・市民」 第1回

今年も暑い夏がめぐってきました。
第二次世界大戦、
日本側から言うならば、日中戦争と太平洋戦争。
その終戦の年から数えて、今年は66年目になります。
戦争体験者の高齢化による記憶の風化は年々厳しくなり、
その記憶を後世に伝える役目は、
あと2年で還暦を迎える筆者の世代の責任だと思っています。
つまりは、自分の父親や母親が戦争経験者である世代
まさに「戦後第二世代」と名づけてもいいかと思う今日この頃です。

前置きが長くなりましたが、
今年もミニ企画展で「大津・戦争・市民」を開催しています。
会期は、7月12日(火)から9月4日(日)までです。

パンプキン爆弾ひさびさに展示!ミニ企画展「大津・戦争・市民」
展示室内風景

その展示の一環で、久しぶりにパンプキン爆弾の実物大模型を展示しました。
この模型は、平成21年度に大規模に開催した企画展「戦争と市民」に際して制作したものです。

アメリカ軍は戦争末期の昭和20年7月から8月にかけて、
日本全国に49発のパンプキン爆弾を投下、各地で多くの犠牲者が出ました。
全長約3.5m、球体部直径約1.5m、実物の重量は約4.5キロでした。
重量はともかく、制作した模型の大きさは、現物と同じに作っています。
歴史博物館のエントランスホールに展示しましたが、
あらためて「大きい爆弾やったんやなあ」と驚いてしまいます。

パンプキン爆弾ひさびさに展示!ミニ企画展「大津・戦争・市民」
パンプキン爆弾模型 歴史博物館エントランスホールに展示 

パンプキン爆弾は、大津市内では昭和20年7月24日午前7時47分、
本市南部の東洋レーヨン石山工場(現東レ滋賀事業場)に投下されました。
記録によれば、死者16名、重傷者13名とありますが、
実際の数字がどうなのかは不明のままなのです。

このパンプキン爆弾は、長崎に投下される原爆(通称ファットマン)と同型でした。
このような球体に近い爆弾を投下した場合、
どのような落下コースになり、そもそも正確に目的地に命中するのか、
また、爆発後に起こる爆風に、アメリカの爆撃機(B29)が巻き込まる恐れがあるため、
投下直後に急旋回して避難するための訓練も必要だったのです。
名称は、パンプキン(かぼちゃ)のようにずんぐりと丸い形をしているからで、
色もパンフキン色に塗装されていたのです。

今から66年前に投下された原子爆弾による放射能被害は、
その後長く被爆者に陰を落とし続けています。

「原子爆弾は広島と長崎の話だから・・」と思ってしまうと、
滋賀県や大津市の歴史からは遠いものに感じますが、
予行演習は、私たちが住み、また勤務している大津市でも実施されたという事実を
私たちは後世に伝えていくことが必用だと思います。

パンプキン爆弾の実物大模型を是非ご覧いただき、
かつてあった戦争の時代に思いを馳せ、
平和への願いを新たにしていただきたいと思います。(続く)

                                      (担当学芸O.H)








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Posted by otsu-rekihaku at 13:08 │ ミニ企画展